最近究極の理想像について考える事があるのですが、
究極の自分とは一体なんなんでしょうか?
お金持ちで、欲しいものを全て手に入れ、きれいな奥さんがいて、穏やかに幸せな日々を過ごす。
これが普通の人が求める幸せのカタチの1つだと思いますが、
これらを手に入れている人は、最初から順調にいって今もずっと幸せな人は一体何人いるのだろう?
と疑問に思いました。
私が知る限りではいません。
お金持ちの人で、幸せに暮らしていたのに、息子が誘拐されて殺されたなどの話しも聞きます。
一方表面的に見れば、同じお金持ちで幸せに暮らしている人の過去を見ると、
ここまでくるのに相当の苦しみを背負ってきたというエピソードがあったりします。
昔、その周辺を制していた、古代ローマもずっと強かったわけではありません。
周りの勢力が伸びてきて、内部崩壊も重なり、ローマは滅びました。
永遠の栄光はありません。
ましてやずっと安定などこの世に存在しないのかもしれません。
そんな人を見たり聞いたこともないからです。
偉人でも何かしらの負を背負っています。
「ナポレオン・ヒルの思考は現実化する」でも、ヒル氏は語っていました。
とても好きだった女性がいる。
しかし、ケンカが相次いで、どうしても別れないといけなくなった。
本当に胸が張り裂けそうで、睡眠薬に大量に飲んでも構わないと思えるほどだった。
しかし、その人と別れた後、素敵な妻と出会った。
一方、分かれた彼女は結婚したらしい。
だが彼女のわがままに耐えきれず、
夫は自殺したらしい。
これを聞いたヒル氏は、
当時は辛かったが、後から見ると、ラッキーだったのかもしれない。
もしかしたら私が自殺をしていたか、もしくはそう幸せではない未来があったのかもしれない
と語りました。
私も昔、対人恐怖症などのトラウマを抱えていましたが、
その経験から、努力するうちに、人と関わるのが逆に得意になりました。
なので、負とはプラスへの転換材であるため、
負を持たない人はいないということです。
完璧にいきすぎたら行き過ぎたで、面白くなく、飽きるという「負」が生れるでしょう。
なので、私はこの世に完璧は存在しないという結論を出しました。
世界はそういう風なつくりになっているからです。
ゆえに、嫌なことは避けれないと悟りました。
人生、うまくいっていない時、
それは非常に苦しいです。
だけど、逆を突けば、辛い事のあとは必ずいいことがあるということが証明されました。
ずっと悪い事が起こっている人も私は聞いたことがありません。
どんなに貧しくても、たまに食べる事のできる食事にとても幸せを感じるはずです。
辛くても、体があるだけで満足。
生きて、きれいな空気、温かい太陽の日差しを浴びるだけで幸せは感じる事が出来ます。
そう思うと幸せを感じれない人はいないんじゃないでしょうか。
幸せを感じれないのであれば、
それは、自分の心が幸せをかき消しているのかもしれません。
なので、つらい日々が続いていたとしても、
全力で一生懸命頑張って、
明るい未来だけを見ようと、ふと感じました。笑
そう、仮想通貨の大暴落をくらっても!
私は負けません!笑
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